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オカムラのトリビア〈前編〉~創業時のエピソード~

2022.12.15

新たな経営理念「オカムラウェイ」の根底にあるのは、「創業の精神」「社是」「モットー」です。これらは「オカムラDNA」として、いまも私たちに受け継がれています。本企画では、さまざまな事業領域に広がるオカムラのタイムラインから、そんな「DNA」を感じられるストーリーを探ります。それは過去だけではありません。現在はもちろん、未来も視野に。
 

今回のオカムラDNAタイムラインは、「社員も知らないかもしれない?オカムラのトリビア」をテーマに、前・中・後編の3回に分けて紹介します。2022年10月、創立77周年を迎えたオカムラ。その歴史には、いくつものストーリーが眠っています。中には、いまのオカムラのイメージからは想像がつかないことも。今回の前編では、社史や、さまざまな歴史的資料を紐解いて、オカムラのトリビアの中から、創業まもない1940年代にフォーカスしてお届けします。
 

トリビア① 社名の由来は、創業の地名から

1952年頃の工場全景
1952年頃の工場全景

創業者の名前から社名がつけられた企業は多くあります。そのため、オカムラも「岡村さんが創業者」と勘違いされることも少なくないのですが、そうではありません。オカムラの創業者は、吉原謙二郎(1913~1985年)です。
では、なぜオカムラなのか。実は創業の地名からとられているのです。岡村製作所(2018年「オカムラ」へ社名変更)が法人化されたのは、1946年7月15日。当時の本社は、神奈川県横浜市磯子区岡村町古泉 315 番地にありました。この「岡村町」が社名の由来なのです。なお、1976年には、岡村町は廃され、神奈川県横浜市磯子区岡村となりました。
 

そして現在……

創業地とのつながりもあり、いまもオカムラは神奈川県にゆかりのある企業です。(ちなみに、横浜市磯子区岡村はミュージシャン「ゆず」の出身地として知っている人も多いかもしれませんね。)本社や生産拠点もあり、3800名以上の従業員のうち、約3割が神奈川県在住です。2021年4月から、追浜事業所・中井工場・鶴見工場・横浜物流センターの4拠点で、神奈川県営の水力発電所で発電する再生可能エネルギーによる「アクアdeパワーかながわ」を導入。エネルギーの「地産地消」によってCO2排出量の削減が可能となります。オカムラとゆかりの深い地域に、このようなかたちで貢献する、これも「社会が活きる」ための取り組みのひとつではないでしょうか。
また、横須賀市の「ふるさと納税」返礼品として、オカムラが誇る最上級のフラッグシップチェア「コンテッサ セコンダ」の提供も実施しています。
 

トリビア② 創立記念日は法人化の日ではない?

1955年頃の工場
1955年頃の工場

先ほど紹介したように、法人化は1946年7月15日です。しかし創立記念日が10月10日になっているのは、1945年のこの日が、実質のスタートとして認識されているからです。終戦後の混乱の中、日本飛行機の岡村分工場を借り、また、材料も譲り受けて生産をスタートした記念の日なのです。
創業者・吉原は、それまで勤めていた日本飛行機株式会社の同僚や部下たちと退職金や貯金を持ち寄り、生産を開始しています。吉原は、「その時集められた資金は僅か五万円にも充たず、お先真暗な敗戦経済の中へ真に背水の陣を布いて船出いたしました」と書き残しています(『協力を資本として無から有を生じた記録』 1953年8月)。自己資金、そして技術力や労働力を持ち寄ってはじめた出発点が10月10日であり、その日を創立記念日としているのです。
 

そして現在……

2021年7月、オカムラは既存の経営理念を一部改訂して、体系的に整理した「オカムラウェイ」を策定しました。オカムラウェイの根底には、長く大切にしてきた考え方が変わらずに存在し続けています。
そのひとつが創業の精神「協同の工業」です。仲間たちと立ち上げたものづくりの精神を忘れない、まさにオカムラの原点です。この「協同の工業」は、社是(「創造」「協力」「節約」「貯蓄」「奉仕」)、モットー(「よい品は結局おトクです」)とともに、現在も「オカムラのDNA」として、継承されています。
 

トリビア③ 創業時につくっていたのは、鍋やフライパン

創業時に扱っていた日用品
創業時に扱っていた日用品
現在は、オフィス家具、小売店の陳列什器や冷凍冷蔵ショーケース、物流システムなど、さまざまな事業で多様な製品を展開しています。しかし、出発点は、意外にも鍋やフライパンなど、日常生活用品の製造でした。
創業者・吉原の勤めていた日本飛行機株式会社の工場跡地からスタートしましたが、物資が不足している時代に、そこには航空機の燃料用タンク製造につかうジュラルミンの板がありました。それを材料に、鍋、フライパン、ご飯蒸し器、筆入れ、弁当箱、灰掻き、オタマなどを生産したのです。
 

そして現在……

モノ不足の戦後、岡村製作所が生産した日常生活用品は、飛ぶように売れたそうです。当時のものづくりからは、生活を豊かにしたい、そんな創業メンバーたちの想いが感じられます。
日常の暮らしに近いという視点では、日本の狭い住環境の解決策として、壁を使うことで効率よく収納できる組み立て式の書斎家具「ホームユニット」を1967年に発売、収納間仕切家具「インターウォール」などとともにヒットしました。のちにオフィスビルへ採用し販路が広がります。また家庭用としては、家具を住居内でトータルシステムとして考えるという発想が、追ってシステムキッチンの開発につながっていきました。最近では、コロナ禍をきっかけとした働き方の変化を受け、在宅勤務に適した家具の提案も多様化しています。
現在は「人が活きる」環境づくりに取り組んでいますが、その根底には、創業時から変わらない「豊かな生活を第一に考える」精神があるのです。
 

オカムラDNAタイムライン 編集後記

今回のオカムラDNAタイムラインは、1940年代創業期の一面を紹介しました。戦後の混乱期、創業者・吉原謙二郎たちがどんな想いで岡村製作所を立ち上げたか、少しでも伝わればと思います。次回は、1950年代に技術力を活かして、現在の事業につながったトリビアを紹介します。お楽しみに。(編集部)


出典

  • 『岡村製作所70年史』(2016年12月)
  • 『協力を資本として無から有を生じた記録』(1953年8月 大阪能率協会編『産業能率』所収)

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