新たな経営理念「オカムラウェイ」の根底にあるのは、「創業の精神」「社是」「モットー」です。これらは「オカムラDNA」として、いまも私たちに受け継がれています。本企画では、さまざまな事業領域に広がるオカムラのタイムラインから、そんな「DNA」を感じられるストーリーを探ります。それは過去だけではありません。現在はもちろん、未来も視野に。
今回のオカムラDNAタイムラインは、「社員も知らないかもしれない?オカムラのトリビア」をテーマに、前・中・後編の3回に分けて紹介します。後編では、いまのオカムラの企業イメージとは異なるものづくりのトリビアを取り上げます。1950年代、岡村製作所(2018年「オカムラ」に社名変更)は動くものをつくり出すことに情熱を傾けていました。そんなオカムラの知られざる一面を社史や関連資料から発掘しました。
トリビア⑥ オカムラは航空機の製造に挑戦していた
1952年、航空力学の権威・日本大学の木村秀政博士は、朝日新聞社主宰「日本学生航空連盟」の学生を指導して航空機の製造を計画。この情報をキャッチした創業者・吉原謙二郎は朝日新聞社にかけあい、試作機設計・製作の契約に成功。旧・日本飛行機株式会社の技術者だった、創業者やメンバーたちの高い技術力が買われてのことでした。
1953年、航空機「N-52」が完成。その年の4月に静岡・浜松飛行場で初飛行を成功させました。創業からわずか8年、鍋やフライパンの製造からスタートしたメーカーは、航空機製造という輝かしい成功をおさめたのです。
そして現在……
「N-52」の成功のあと、コスト面で航空機の製造継続は困難と判断。以降、航空機産業に関わることはありませんでした。しかし、創業者をふくむ当時の技術者たちによる挑戦の精神は今も、新たな事業創出をはじめ、さまざまなチャレンジに情熱を燃やす「挑戦社員」たちに受け継がれています。オカムラには創業時から変わらない「一人ひとりの意見を尊重し、挑戦を後押しする」企業文化が今もあります。多様な事業展開や、最近ではAIを搭載した物流ソリューションや3Dプリンタを活用し環境に配慮した製品開発など。新しい取り組みの背景には、オカムラグループ従業員が日々の行動の拠りどころとする「私たちの基本姿勢 -SMILE-」の「MORE=果敢に挑戦することで、仕事が活きる」があると言えます。
トリビア⑦ 旧・国鉄のディーゼル機関車にオカムラの技術を採用
創業者・吉原をはじめとした社内の技術者たちは、磨き上げた技術を活かした「動く製品」開発への情熱を持ち続けていました。その結晶のひとつが、「トルクコンバータ(流体変速機)」です。トルクコンバータとは、端的に説明するとエンジンの動力を伝達する装置で、身近なところではオートマチック車のクラッチに使用されています。
1951年、日本初の画期的な純国産トルクコンバータ開発に成功。しかし、なかなか売れませんでした。あるとき、造船や鉄道製造を手掛ける新潟鐵工所株式会社が、トルクコンバータを旧・国鉄(現・JR)のディーゼル機関車に採用するという知らせが届きます。これが岡村製作所(当時)のトルクコンバータ採用第1号となりました。これを機にフォークリフト、ショベルカー、ブルドーザーなどさまざまな分野で活用されるようになりました。
そして現在……
現在、トルクコンバータ製造は、パワートレーン事業部が担っています。産業車両、建設機器など、「はたらくクルマ」の心臓部であるトランスミッションを開発。表面に見えない部分ではありますが、社会に役立つ車両の核を製造しています。まさに「人が活きる」ためのものづくりです。また、パワートレーン事業部が製造を行っている神奈川県横須賀市の追浜事業所では、古くから使用している設備が今も稼働中です。同時に、生産性向上を図るべく新たな自働化設備の導入も推進。新旧設備が同居する工場の現場で、生産する製品もエンジン車向けからEV車向けにシフトしつつあります。創業者たちの「動く製品」への情熱はいまも継承されながら、さらに進化・発展を続けているのです。
トリビア⑧ 日本初のオートマチック車を製造
かつては、航空機だけでなく、自動車も製造していました。トルクコンバータの展開を視野に、1952年に自動車開発チームを発足させています。そして、1955年には全社総力をあげ、培ってきた技術を余すところなく投入した自動車試作第1号が完成します。
国内初トルクコンバータ式オートマチック車セダン型のこの自動車は、「ミカサ」と名付けられました。ミカサは、1957年5月に東京・日比谷公園で開催された「第4回全日本自動車ショウ」でデビュー。トヨタ自動車よりも2年早いオートマチック車の登場でした。
そして現在……
自動車の研究・開発・製造は、莫大なコストがかかります。そのため、1960年に経営的判断でミカサ生産は断念することに。3年間につくられたミカサは、試作車も含めて約500台でした。技術者であった創業者・吉原にとって、それは苦渋の選択だったといいます。時は流れて2015年7月、このミカサに搭載した1951年開発のトルクコンバータが、一般社団法人 日本機械学会により「機械遺産」に認定されました。自動車メーカーとしての夢はついえたものの、ミカサ試作第1号誕生から60年を経ての評価は、自社の歴史にまだ学ぶ点があることを私たちに教えてくれます。
なお、ミカサは、かつて人気テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』で取り上げられたことがあります。800万という鑑定額の高さは、いまでも社内で語り草となっています。
オカムラDNAタイムライン 編集後記
黎明期である1940年代・50年代のトリビアを3回にわたって紹介してきました。オカムラのさまざまな一面を知っていただけたでしょうか。もちろん、紹介したトリビアは、どれも今の従業員が入社どころか、生まれる前のことばかりです。しかし、あらためて資料に目を通してみると、現在につながる挑戦や姿勢の再発見の連続でした。現在「人が活きる」環境づくりをめざす私たちにとっても、新たなヒントを見つけた気がしています。(編集部)
出典
- 『岡村製作所70年史』(2016年12月)
- 『ミカサ・ヒストリー』