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世界一の浮世絵画家・葛飾北斎アートを極めた“画狂人”の生き様

2022.11.01
オカムラグループには、一人ひとりが、日々の行動の拠りどころとするための「私たちの基本姿勢 -SMILE-」という5つのアプローチがあります。

編集部では、この「SMILE」について、「もしかしたら、時代を超えて、さまざまな仕事やはたらき方にも通じるのではないか?」という仮説を立てました。そこでスタートしたのが、本連載「SMILE」歴史探偵団です。誰もが知っている、歴史上の人物とそのエピソードに着目して、「SMILE」の観点で分析。その人物の成功の秘訣がどこにあるのか、独自に考察します。
 
今回のテーマは、江戸時代に活躍した浮世絵師の葛飾北斎。代表作『富嶽三十六景』や『北斎漫画』がゴッホやドガ、モネら印象派の画家に影響を与え、“ジャポニスム”のムーブメントを起こしました。アメリカの雑誌『LIFE』で、「この1000年で最も偉大な功績を残した世界の人物100人」に選出された唯一の日本人である、偉大な画家の生き様を「SMILE」で分析します!

葛飾北斎の仕事ぶりを「SMILE」で分析!

まずは、「私たちの基本姿勢 -SMILE-」を紹介します。Shine、More、Imagine、Link、Expertという5つのアプローチは、私たちオカムラにかかわる、すべての人の笑顔のために、オカムラグループの従業員一人ひとりが日々の行動の拠りどころとしています。
 

では、編集部による「SMILE」分析結果を見ていきましょう。葛飾北斎の仕事ぶりを「SMILE」の観点から分析すると、特に「Shine」「Imagine」に優れていることがわかりました。
 
Shineさまざまな流派を学んだ後、独自の画風を確立
More死の直前まで画力の向上を目指していた
Imagine弟子や私淑者、職人たちのため絵手本を制作
Link気に入らない注文は断り、客と喧嘩することも
Expert画業を突き詰め、世界中で愛される浮世絵師に


20歳から90歳までの約70年間、画業を極め続けた葛飾北斎。ひたむきに絵と向き合い、200人以上の弟子がいたという北斎は、「自分が活きる」「相手が活きる」タイプの人物だったと推測できます。ひとつの道を極めた彼の人生から学ぶことは多いはずです。
 

絵筆とともに生きた、世界一有名な日本人画家

日本独自の文化が爛熟期を迎えた、江戸時代後期に生まれた葛飾北斎。6歳頃から作画への興味を示し、貸本屋の小僧をしたり、木版印刷の版木彫りをしたりして幼少年期を過ごします。そして、19歳のときに勝川春章に弟子入りし、絵師への一歩を踏み出しました。

1760年 本所割下水付近で川村氏の息子として生まれる
1778年 役者絵が人気の絵師・勝川春章に弟子入り
1792年 勝川春章が死去。この2年後に勝川派を離脱
1794年 琳派の一門・宗理派に属し、「宗理」の画号を用いるように
1798年 宗理派からも独立して、「北斎辰政」を名乗る
1814年 『北斎漫画』の初編が出版される
1831年 『冨嶽三十六景』を発表
1849年 病で90歳の生涯を終える

勝川派に入門した翌年には絵師・勝川春朗としてデビューするなど、順調にキャリアを積んでいく北斎。さまざまな技法や画風を吸収しながら、ひたすら画業に邁進する生活は90歳で亡くなるまで続きます。

絵師として名を成してからも慢心することなく、「絵が上手くなりたい」と言い続けていたエピソードから、生涯をかけてスキルを磨き続けることの重要性が感じられます。代表作である『北斎漫画』や『冨嶽三十六景』も、50〜70代のころに手掛けたもの。これらの作品はフランスを中心に高い評価を受け、印象派の画家たちに多大な影響を与えます。年齢と経験を重ねても、さらなる成長を求める北斎の姿勢は、現在のシニア世代ビジネスパーソンにも通じるところがあるようにも思います。

自らの表現を突き詰めていった結果、国を超えて高く評価される――“クールジャパン”の先駆け的存在とも呼べる北斎の生き様を、「自分が活きる」Shine「相手が活きる」Imagineの観点から解説します。
 

Shine: 多彩な画風の源泉は、たゆみない学びにあり

2つの画派以外にも、さまざまな画風を習得。作風の多彩さも北斎の特徴だ
2つの画派以外にも、さまざまな画風を習得。作風の多彩さも北斎の特徴だ

北斎が最初に入門したのは、写実的な役者絵で人気を博した勝川派。入門後、師匠・勝川春章にその才を認められた北斎は、15年間で浮世絵版画200点以上、挿絵本50種以上と、多くの作品を制作します。同時に、狩野派や土佐派、西洋画法など、さまざまな絵画技法を習得。勝川派で過ごした15年が、北斎の“修行時代”でした。

勝川派の離脱後は、装飾画様式の琳派※1の一門・宗理派に属し、今までとは違った緻密で端正な作品を手掛けます。そして、4年後には宗理派も離脱し、以降は「天地、宇宙、自然を唯一の師」として、他派に属することはありませんでした。これらの経験が北斎の多彩な画風を生み出したのではないかと考えられます。

※1:桃山時代後期に興った画派。『風神雷神図』で知られる俵屋宗達によって創始された

 


「SMILE」ポイント① Shine

存命中から絵師・北斎の名は知れ渡っていて、貿易のために日本を訪れた外国人から絵の注文を受けることもあったそうです。海外の美術館の北斎コレクションの中には、西洋画風のタッチで描かれた作品も。遠近法を使った奥行きを感じさせる構図や、陰影に富んだ彩色から、北斎の確かな腕が感じられます。「学び・感性を磨くことで、自分が活きる」Shineの要素が強かったからこそ、どんな画風も自分の血肉にすることができたのでしょう。



江戸時代の大衆文学として流行した、黄表紙や読本の挿絵も重要な北斎の仕事のひとつ。10年間で190冊あまりの読本の挿絵を手掛けたそうです。北斎の挿絵は、ときに美しく、ときにスリリングに物語を彩り、たちまち江戸っ子たちの間で評判に。なかでも、『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』で知られる読本作者・曲亭馬琴とのタッグが人気を集めました。
 

「SMILE」ポイント② Link

曲亭馬琴作品の挿絵を多く手掛けていた北斎ですが、馬琴との仲は良好ではなかったそう。挿絵の内容を巡って対立して、双方が降板を申し出たこともありました。とりわけ大きな喧嘩として語り継がれているのが、登場人物の口に草履をくわえさせたいという馬琴の指示に対し、北斎が「誰がこんな汚い草履を口にするか」と反発した、という逸話。絵に対する妥協しない姿勢ゆえに、「多様性を愛し、協力することでチームが活きる​」Linkの資質にはあまり恵まれていなかったようです。

Imagine:絵手本「北斎漫画」出版。多くの弟子や職人の手本に

『北斎漫画』は人気を博し、全15編が刊行された
『北斎漫画』は人気を博し、全15編が刊行された

当時の絵師たちは、弟子入り先の師匠から与えられた「絵手本」を模範として、絵を習っていました。通常の絵手本は手描きで弟子に与えられるのですが、北斎には弟子が200人以上いたため、『北斎漫画』として出版されることに。最終的には全15編が刊行され、『冨嶽三十六景』などと並ぶ、北斎の代表作のひとつとなったのです。全国の北斎愛好家や、職人たちの手本としても活用されるなど、全国で好評を博しました。
 

「SMILE」ポイント③ Imagine

「絵手本」として制作された『北斎漫画』ですが、その内容は多岐にわたります。人物や動植物、日用品などあらゆるモチーフのデッサン集や、定規とコンパスを使った作画法の図解、着物の文様、櫛の装飾図案などを掲載。こうした北斎の作風の幅の広さが、弟子の個性開花に一役を買っていたそう。このエピソードから、「思いやりを持ち想像することで、相手が活きる​」Imagineの資質が伺えます。


『北斎漫画』は浮世絵などとともにヨーロッパへ渡り、印象派の画家たちに影響を与えました。中でも、飾らないポージングの人物デッサンは、当時の西洋画家たちの目に新鮮に映り、「踊り子」をモチーフにした作品で知られるドガが、自作に取り入れたとも言われています。
 

「SMILE」ポイント④ Expert

写実的であることよりも、画面構成の妙味や視覚効果を優先した浮世絵は、アカデミー絵画からの脱却を目指していた印象派の画家に大きなインパクトを与えました。さらに、ロートレックやクリムトら、アール・ヌーヴォーの画家にも影響を与えるなど、ヨーロッパのアートシーンを席巻します。北斎個人に限らず、理想美を追い求めた絵師たちの姿勢は、「最良を追求し続けることで、社会が活きる​」Expertに通じているといえるでしょう。

まとめ

富や地位、名誉になびくことなく、ひたむきに絵の道を極めた葛飾北斎。70年の絵師人生で描いた作品数は、30,000点を超えるとも言われています。まさに「学び・感性を磨く」Shineの資質を強く持っていた人物だったのでしょう。また、無愛想で気難しい人物だったとも伝わっていますが、200人を超える弟子がいたことから、「相手が活きる」Imagineの要素も持ち合わせていたのではないかと推測できます。印象的なのが、死の間際に「せめてあと5年生きられれば、本当の絵描きになれたのに」という言葉を残したこと。画の道に挑み続けた北斎らしいエピソードです。ここから「果敢に挑戦することで、仕事が活きる」Moreの感性も強く持っていたであろうことが伺えます。


撮影・田村邦男
撮影・田村邦男
監修:小和田哲男
歴史学者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。静岡大学名誉教授。専門分野は日本中世史、戦国時代史。著書に『日本の歴史がわかる本』(三笠書房)、『織田家の人びと』(河出書房新社)、『歴史に学ぶ~乱世の守りと攻め~』(集英社)など。
・参考文献
『もっと知りたい葛飾北斎 改訂版 生涯と作品』(監修・永田生慈/東京美術)
『北斎 Siebold & Hokusai and his Tradition』(編集・東京都江戸東京博物館ほか/東京新聞)
・参照Webサイト
すみだ北斎美術館(https://hokusai-museum.jp/
株式会社オカムラ ウェブサイト

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