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土方歳三のリーダーシップ「鬼の副長」の組織マネジメント

2022.09.13
オカムラグループには、一人ひとりが、日々の行動の拠りどころとするための「私たちの基本姿勢 -SMILE-」という5つのアプローチがあります。

編集部では、この「SMILE」について、「もしかしたら、時代を超えて、さまざまな仕事やはたらき方にも通じるのではないか?」という仮説を立てました。そこでスタートしたのが、本連載「SMILE」歴史探偵団です。誰もが知っている、歴史上の人物とそのエピソードに着目して、「SMILE」の観点で分析。その人物の成功の秘訣がどこにあるのか、独自に考察します。
 
今回のテーマは、江戸時代末期、幕府に忠誠を誓い、最後まで新政府軍と戦った新選組の副長・土方歳三。2021年10月に公開された映画『燃えよ剣』の主人公としても注目を集めた日本史上の人気者。主に浪人によって構成された烏合の衆を、No.2の立場で統率した「鬼の副長」としても知られています。農民出身ながら、武士よりも、武士らしく"生"を全うした“ラストサムライ”の信念と、組織マネジメント術を「SMILE」で分析!

土方歳三の仕事ぶりを「SMILE」で分析!

まずは、「私たちの基本姿勢 -SMILE-」を紹介します。Shine、More、Imagine、Link、Expertという5つのアプローチは、私たちオカムラにかかわる、すべての人の笑顔のために、オカムラグループの従業員一人ひとりが日々の行動の拠りどころとしています。
 
では、編集部による「SMILE」分析結果です。「SMILE」の観点から見た土方歳三の働きは概して高評価。特に「More」と「Expert」が優れていたと考えられます。反対に、“鬼の副長”ぶりから「Link」の評価は低めです。
 
Shine過去の敗戦を反省し、二股口の戦いで勝利を収める
More厳しい隊律「局中法度」を徹底。烏合の衆である新選組を統率した
Imagine戊辰戦争後期にかけて、慕われるリーダーへ変化
Link局中法度に違反した隊士をつぎつぎに粛清。その厳しさに不満の声も
Expert洋式の軍制を採用し、幕府の再建に最後まで尽くした


徹底した隊律の運用と、一貫した幕府への忠誠が歳三の注目ポイント。彼は、そのブレない姿勢で周囲の信頼を獲得した、「仕事が活きる」「社会が活きる」タイプの人物だったのではないでしょうか。新選組結成以降、歳三の有能さは明らかになっていきます。
 

多摩の農民から新選組副長へ。苛烈に生きた35年の生涯

名だたる傑物たちが次々と頭角を表し、活躍した幕末期。その中でも、現代で屈指の人気を誇る人物が、「新選組」副長・土方歳三です。新選組を統率し、最強の「剣士集団」に成長させただけでなく、その後、旧幕府軍の陸軍奉行並の要職まで上り詰めました。苛烈に生きた歳三の生涯を年表で見てみましょう。

1835年 武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)の農家に生まれる
1859年 道場・天然理心流に入門
1863年 近藤勇らとともに、浪士組※1に参加し、京都へ
1863年 浪士組のうち、京都に残ったメンバーで「新選組」を発足。歳三が副長に
1864年 倒幕派の長州・土佐藩士らが密会していた旅籠・池田屋を新選組が襲撃
1868年 戊辰戦争※2の初戦・鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗北。
1868年 仙台で榎本武揚率いる旧幕府軍と合流
1869年 戊辰戦争最後の舞台・箱館(函館)で戦死

※1:江戸幕府14代将軍・徳川家茂の上洛にあわせて、将軍警護のために作られた組織
※2:明治新政府を樹立した薩摩藩や長州藩を中核とした「新政府軍」と、旧幕府派や奥羽越列藩同盟などからなる「旧幕府軍」による日本最大の内戦



農家の子として生まれた歳三は28歳のとき、「武士になりたい」という思いのもと、近藤勇、沖田総司らとともに浪士組に合流。その後、「新選組」に名を改めた組織で副長を務め、京都で治安維持や倒幕派の弾圧を行います。しかし、長州藩や薩摩藩を中心とする新政府軍の勢いは止められず、新選組含む旧幕府軍は戊辰戦争で敗北を重ねます。近藤勇処刑後も、歳三は各地で奮闘しますが、戊辰戦争の最終局面である箱館戦争で戦死。35年という生涯を閉じました。

厳しい隊規で新選組を統率し、違反者に切腹を課すことをたびたび命じたエピソードなどから、歳三はしばしば「鬼の副長」と称されます。現代に当てはめて考えると、「やりすぎ」「パワハラ」と思われるかもしれません。しかし、乱世ともいえる幕末期の時代性を鑑みて、歳三が下した数々の判断を読み解くと、我々が参考にできる点も数多く隠されていることに気づきます。ここでは歳三の美学が色濃く表れた、果敢に挑戦することで「仕事が活きる」Moreと、最良を追求し続けることで「社会が活きる​」Expertの例について紹介します。
 

More:厳しい隊律を徹底し、烏合の衆である新選組を統率

浪人たちを見事に統率。組織マネジメントに長けた土方からは「果敢に挑戦する」Moreの姿勢が伺える
浪人たちを見事に統率。組織マネジメントに長けた土方からは「果敢に挑戦する」Moreの姿勢が伺える

かの歴史小説の大家・司馬遼太郎は、土方歳三を描いた小説『燃えよ剣』のあとがきで、歳三を次のように表しています。
歳三は、それまでの日本人になかった組織というあたらしい感覚を持っていた男で、それを具体的に作品にしたのが新選組であったように思われる。
この言葉のとおり、歳三は、「隊規」を徹底することが組織マネジメントに不可欠であることを認識していました。それを実践した“組織”が、新選組だったといえます。そもそも新選組は、反幕府勢力を取り締まるという名目こそあれど、そのメンバーは腕に自信のある浪士が集っただけの烏合の衆。だからこそ歳三は、新選組を機能させるために、明確な行動規範となる「局中法度」を運用しました。「鉄の掟」ともいわれるその内容は、「武士道に背くような行為をしない」「新選組を脱退しない」「勝手に人の金を借りたりしない」などの五箇条からなります。

 


「SMILE」ポイント① More

局中法度は肩書に関係なく平等に課され、一切の例外も認めなかったといわれています。実際、副長などを歴任し、幕末京都で活躍した主要メンバー・山南敬助が脱走・捕縛された際も、切腹が言い渡されています。明確なルールを定めて私情をはさまずに運用した先見性から、Moreに通じる挑戦心を感じます。



こうして組織化された新選組は、倒幕派から恐れられる存在になっていきます。しかし、そのあまりの厳しさゆえ、粛清された隊員は40人以上。組織内からは不満の声も挙がっていたといわれます。先述した山南敬助の脱走も、そうした土方のマネジメントに対する疑問が原因という説も。
 

「SMILE」ポイント② Link

ならず者集団を統制するための局中法度によって、違反者はほとんどの場合、容赦なく粛清されました。そうした姿勢から、局長の近藤勇と副長の土方歳三体制は、独裁化していたとも考えられます。「恐怖心」によってメンバーが意見を言えなくなることは組織にとって大きな損失。多様性を重んじるLinkの欠如は、組織の成長を阻害する要因になっていたかもしれません。


その後、新選組の取り締まりもむなしく、倒幕派が勢力を増していきます。歳三はこの間、銃を使った洋式調練を取り入れながら、新選組の兵力向上に尽力。そしてついに、旧幕府軍と新政府軍の戦い、戊辰戦争が勃発しました。新選組も旧幕府軍として参戦。戊辰戦争の初戦となるのが、1868年1月からはじまった鳥羽・伏見の戦いでした。
 

Expert:幕府再建を勝ち取るために洋式軍制を採用!

戦に勝つためには柔軟に「様式の軍制」を取り入れる思考は、「最良を追求し続ける」Expertに通じる
戦に勝つためには柔軟に「様式の軍制」を取り入れる思考は、「最良を追求し続ける」Expertに通じる

鳥羽・伏見の戦いで、歳三は負傷中の近藤勇に代わり、新選組を指揮。徳川陸軍部隊(旧幕府側)と薩摩藩兵(新政府側)の銃撃戦が展開されるなか、歳三率いる新選組は旧式の銃と刀槍による白兵戦で挑みます。結果、敗走を重ね、旧幕府軍の敗北に終わります。帰還後、江戸城中で合戦の模様を訊かれた歳三は、次のように語ったとされます。「我々は剣を帯び、槍を取って戦いましたがいっさい役に立ちませんでした」。
 

「SMILE」ポイント③ Shine

歳三は鳥羽・伏見での敗戦を糧に、以降、旧幕府軍では異例となる勝利を重ねていきます。なかでも、二股口の戦いでは、鳥羽・伏見で大ダメージを受けた奇襲を警戒。自軍が死角から撃たれないように、角度の異なる10箇所以上の胸壁※3を築き、銃撃戦を優位に進めたことで、勝利を収めたのです。鳥羽伏見の敗戦を糧に、自軍を勝利に導いた歳三には、Shineの精神があったといえます。

※3:山や城の上部に設けられ、相手の銃弾などから兵士を防御するための壁面


旧幕府軍の再建を期す歳三は、旧幕府の総裁・榎本武揚とともに北海道へ。榎本を総裁とする蝦夷共和国が成立し、五稜郭がその拠点になります。土方は幹部として陸軍奉行並、箱館市中取締、陸海軍裁判局頭取などを兼任。そして、新政府軍による箱館総攻撃が開始されると、歳三も応戦するものの、乱戦の最中に銃弾を受けて絶命しました。
 

「SMILE」ポイント④ Expert

「剣豪集団」を統率した歳三が、銃撃戦が主流になって以降の戦でも活躍できた理由――それは、「戦に勝つ」ためならば、極めて優れた柔軟性を発揮したからといえます。たとえば、早い段階から洋式訓練を採用したこと。歳三も、当時主流だった「攘夷」※4論者だったとされますが、「勝つ」ためには、自らの価値観に固執せず、優れたものを採用。そして、運用する力がありました。歳三の死後、結果的に、旧幕府軍は降伏しますが、幕府の再建=社会のために、尽力したその姿からは、Expertの要素がうかがえます。

※4:外国勢力を追い払うべきとする考え方

まとめ

新選組を統率し、幕府のために戦い抜いた歳三。その生涯からは、局中法度の厳格な運用により組織マネジメントで「仕事が活きる」More「社会が活かす」ために幕府の再建に尽力したExpertの要素が色濃く表れています。また歳三は、箱館戦争の際、隊士たちの頑張りに報いるべく、自ら酒を振る舞って回ったというエピソードが残るなど、歳を重ねるごとに苛烈な性格は徐々に和らいでいったと考えられます。乱世を駆け抜けるその過程で、「鬼の副長」歳三のなかに、「相手が活きる」Imagineの要素が芽生えていったのかもしれません。


撮影・田村邦男
撮影・田村邦男
監修:小和田哲男
歴史学者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。静岡大学名誉教授。専門分野は日本中世史、戦国時代史。著書に『日本の歴史がわかる本』(三笠書房)、『織田家の人びと』(河出書房新社)、『歴史に学ぶ~乱世の守りと攻め~』(集英社)など。
・参考文献
『土方歳三 新選組を組織した男』(著・相川司/扶桑社)
『燃えよ剣』(著・司馬遼太郎/文藝春秋)
・参考映像
『歴史探偵』 指揮官 土方歳三(NHK総合 2021年9月22日放送)
株式会社オカムラ ウェブサイト

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