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ものづくりスピリットの継承 ミカサツーリングのレストアプロジェクト

2024.02.08

オカムラDNAタイムライン Vol.8

新たな経営理念「オカムラウェイ」の根底にあるのは、「創業の精神」「社是」「モットー」です。これらは「オカムラDNA」として、いまも私たちに受け継がれています。本企画では、さまざまな事業領域に広がるオカムラのタイムラインから、そんな「DNA」を感じられるストーリーを探ります。それは過去だけではありません。現在はもちろん、未来も視野に。
 

今回取り上げるのは、オカムラが1958年に製造した自社製トルクコンバータ(流体変速機)を使用したオートマチック車「ミカサツーリング」のレストア(修復)プロジェクトです。2022年10月、富士事業所(静岡県御殿場市)に保存されていたミカサツーリングを蘇らせるためにプロジェクトがスタート。8か月後の2023年6月には再び走る姿を見せるに至りました。レストアに携わったメンバーとプロジェクトを振り返りながら、今に引き継がれているオカムラのものづくりのDNAを探ります。


2023年12月取材
レストアプロジェクトで蘇ったミカサツーリング

レストアプロジェクトで蘇ったミカサツーリング

オカムラの革新的な“ものづくり精神”の原点「ミカサ」

オフィス家具メーカーのイメージが強いオカムラが自動車をつくっていた、と聞くと意外に思う人も多いかもしれません。しかしオカムラの創業者である吉原謙二郎は日本飛行機株式会社出身の技術者で、創業当初のオカムラには優秀な航空技術者がそろっていました。「動くものをつくりたい」という想いは、いわばオカムラの原点です。彼らの関心はスクーターへ注がれ、それがトルクコンバータの開発につながりました。かたわらでは飛行機の開発にも成功しています。
そして1957年には、自社製トルクコンバータを使用した国内初のオートマチック車「ミカサ」をデビューさせ、翌1958年にはスポーツモデルの「ミカサツーリング」も発表します。しかし採算をとるのが難しいという経営判断から、ミカサを3年間で約500台世に送り出した後、自動車事業から撤退。その後、人が集まる場所で使うものをつくろうという新たな方針のもと、オフィス家具中心の生産へと舵を切りました。


関連リンク:ミカサヒストリー

「再び走る姿を!」 熱い想いからプロジェクトはスタート

オカムラが所有する1台のミカサツーリングは、長らく「オカムラいすの博物館」で展示されていましたが、一時閉館にあたり富士事業所へ移されました。実車を間近で見ると、デザインの美しさやつくりの精巧さは60年以上前の自動車とは思えないほど。「もう一度、ミカサツーリングが走る姿を見たい」という当時の富士事業所長の想いから、2022年秋にレストアプロジェクトが発足。ミカサを走らせたいという想いと技術、両方を備えたメンバーが集まりました。
 

生産本部 富士事業所 技術部 ストア設計課 秋元純平
生産本部 富士事業所 技術部 ストア設計課 秋元純平
「当初はすべてを社外のレストア事業者に任せる話もあったのですが、せっかくなら自社の生産事業所を巻き込んで、可能な限り自分たちも参加しようとメンバーが集まりました」と話すのは、現在ミカサが保管されている富士事業所の秋元純平。入社8年目で本プロジェクトでは一番の若手です。普段はスーパーや小売店向けの商品陳列什器などの設計業務を担当。レストアではメッキパーツや樹脂パーツを協力会社とともに修復しました。「もともと車が好きで、入社前にオカムラのウェブサイトでミカサを知り、興味を持ちました。入社面接で『またミカサをつくります!』と宣言したほどです」
生産本部 追浜事業所 オフィス製造部 部長 野間智志
生産本部 追浜事業所 オフィス製造部 部長 野間智志
秋元のような人は珍しく、ミカサについては入社時の研修でオカムラの歴史について学ぶ際に知るくらい、という人がほとんど。プロジェクトのまとめ役を担った野間智志は、現在は追浜事業所オフィス製造部の部長としてイスやデスクなどの製造部門をとりまとめています。「追浜事業所はイスの製造をメインとしているので、レストアではミカサのシートの修復を担当しました」
生産本部 追浜事業所 オフィス製造部 製造技術担当 係長 荒井孝夫
生産本部 追浜事業所 オフィス製造部 製造技術担当 係長 荒井孝夫
実際にシートの修復作業にあたったのが、野間と同じオフィス製造部の荒井孝夫です。普段はイスの製造に関する技術開発や試作品、量産対応などを担当しています。レストアでは、“イスの張りの達人”としてシートのクッション材の補修から張り直しまで修復全般を担いました。「新しい材料に張り替えてしまうほうが簡単で、実際にそうしようかという話もあったのですが、やはりオリジナルを残したいと、できる限りの努力をしました」
生産本部 パワートレーン事業部 技術部 設計課 課長 石橋秀規
生産本部 パワートレーン事業部 技術部 設計課 課長 石橋秀規
ミカサについて社内でもとくに詳しい一人が、パワートレーン事業部の設計課課長の石橋秀規。「20年以上前にミカサがテレビ番組『開運!なんでも鑑定団』で取り上げられたときは収録スタジオへ観覧にも行ったんですよ」と懐かしそうに話します。普段は産業車両用のトルクコンバータやトランスミッションの設計に従事。2015年にミカサのオートマチック・トランスミッションが日本機械学会によって「機械遺産」に登録された際も準備対応などに尽力しました。今回のレストアには自ら手を挙げて参加し、トランスミッションの修理を担当しました。
生産本部 パワートレーン事業部 製造部 生産技術担当 主任 松本健一
生産本部 パワートレーン事業部 製造部 生産技術担当 主任 松本健一
石橋と共にトランスミッションの修理に携わったのが、パワートレーン事業部の松本健一。普段は修理や治具製作など生産サポートを担当。壊れた部品を分解して修理する“リビルト技術の達人”で、その高いスキルから石橋により白羽の矢が立てられました。松本は「気づいたらプロジェクトに入っていました」と笑います。
「ミカサツーリングにはもともと飛行機をつくっていた優秀な技術者が関わっています。分解してみると細部まで非常に緻密に設計されていて、さすがだなと思いました。ミカサのデビューは1957年ですが、一般的なオートマチック・トランスミッションの乗用車が売れ始めたのは1970年頃だと聞いています。あまりに革新的で時代を先んじすぎたのが、売り上げが伸び悩んだ理由かもしれません」と石橋は言います。
 
富士事業所では、月に一度メンテナンスをしている
富士事業所では、月に一度メンテナンスをしている

レストアを終えたミカサツーリングは、現在富士事業所に保管されており、月に1回試乗して、状態をチェックしています。「触媒※がついていないので排気ガスがひどく、建物内ではエンジンをかけられません。3~4人で押して出して、敷地内を5周くらい走ります。合わせてバッテリーやオイル確認、シートに保湿クリームを塗るメンテナンスなどもしています」と話す秋元。なんだかその手間すら愛おしそうです。

※:エンジンから出る排気ガスの不純物を除去・浄化処理する排気システムを担う
 

妥協のない当時のものづくり精神に驚き!

レストアに必要な高い技術を持ち、ミカサをまた走らせたいと想いもあるメンバーが集まってスタートした今回のレストアプロジェクト。しかし、いざ始めてみると一筋縄ではいきませんでした。まず、図面や資料がほとんど残っていなかったのです。
職人が手作業でつくったと思われるギア(レストア時の撮影)
職人が手作業でつくったと思われるギア(レストア時の撮影)
「トランスミッションに関しても、一部の部品図や『箱根の山を登った』というような耐久試験の資料があるだけで、各部品の寸法もわからない状態。松本とあれこれ想像しながら、修復を進めました。作業中は当時の技術力に驚かされることも多かったですね。昔の車ですから、分解する前はおそらく今から見ると古い材料を使っているのだろうなと想像していました。それが、ギアやシャフトには現在も一般乗用車やパワートレーンでも使われている炭素鋼という材料が使われていましたし、金属の出っ張りをとるバリ取りという作業も非常に丁寧で一目できれいなギアだとわかる仕上がりでした。当時は旋盤による自動化はされていなかったはずで、おそらく職人の手作業でしょう。すばらしい加工技術です」(石橋)
 
エンジンもオカムラ製(レストア時の撮影)
エンジンもオカムラ製(レストア時の撮影)
社内で製造していたパーツが多いことも、分解してわかったことだと松本は話します。「たとえばエンジンはほかで買ってきてオカムラのトランスミッションとくっつければ簡単ですが、わざわざ自社でつくっていました。サスペンションのような足回りも一から設計していると思われる部品が多く、自動車づくりへの本気度を感じましたね」
シートの表皮はひもで巾着のように処理されていた状態も再現(レストア時の撮影)
シートの表皮はひもで巾着のように処理されていた状態も再現(レストア時の撮影)
シートの技術力については、担当の荒井が説明しました。「現在のクッション材は簡単に同じものを大量生産できる発泡ウレタンを使うのが一般的ですが、ミカサには天然素材のパーム椰子(実の外側の繊維)を使用していました。製作の際には手間がかかり扱いの難しい天然素材ですが、何層にも重ねることでウレタンに比べてしっかりとした座り心地が生まれ年数が経っても使うことができるので、そのまま再利用しています。また、表皮はステープルなどで留めるのではなく、ひもで巾着のように縛って包んでいました。複雑な形状のシートには採用が難しい工法なので驚きましたし、今後の製品開発でも参考にできそうです」

当時の技術者のこだわりが随所に詰まったミカサ。今回レストアした「ミカサツーリング」の当時の価格は、同等クラスの約2倍でした。秋元は「挑戦心がすごいですよね」と目を輝かせます。

「今回のレストアの基本方針は、可能な限りオリジナルのデザインと仕様に忠実に再生することでした。どうしても取り替えなければならないパーツがあれば、関係者に確認しながら進めました。失敗したら代替品はないので、オリジナルをいかに残すかに細心の注意を払いました」(野間)
 

「可能な限りオリジナルを活かすのが、今回のレストアのテーマ」(野間)
「可能な限りオリジナルを活かすのが、今回のレストアのテーマ」(野間)


たとえばシートはビニール素材なので、シワやヨレは温めて直します。ただ、熱を加えすぎて焦がしたり、変形させたりしては元に戻せません。「一つの判断ミスが取り返しのつかないことになるので、慎重かつ丁寧に作業を進めました」と荒井は当時を振り返ります。

トランスミッションのレストアも同様です。「削りすぎたら戻せない。一発勝負なので、かなりの集中力が必要でした」と松本。石橋も「部品はもう世の中に1個しかないから、松本が作業した部品を外注業者に出すときも、万が一紛失などがあるといけないのでかなり目立つように梱包するなど気を使いました」と当時の苦労を述べました。
 


「ミカサツーリング レストアプロジェクト」ギャラリー①

各事業所の高い技術が結集して成功したレストア

最初と最後は顔合わせもして、協働プロジェクトとして進行したレストア。実際の作業は各事業所で行われましたが、完成したミカサツーリングはまさに各部の技術が結集したものです。それぞれの担当箇所の修復の苦労について改めて振り返ってもらいました。
向かって右が運転席のシート。助手席に比べてだいぶへたっている(レストア時の撮影)
向かって右が運転席のシート。助手席に比べてだいぶへたっている(レストア時の撮影)
荒井は、追浜事業所でのシート修復作業を次のように振り返ります。「中のクッションがだいぶへたっていて、運転席と助手席のシートの厚みがまったく違う状態。表皮にもヨレやシワが出て、状態は決して良いものではありませんでした。材料や加工技術も今とは違い、たとえば接着剤も今よりはがれにくく、修復は思っていた以上に大変で時間がかかりました。ほかにもビニールレザー模様穴部分にたまっていた汚れをブラシで何度も取り除いたり、シートベースと呼ばれる板金素材の油分や錆をきれいに除去したり、ビスも一つ一つ丁寧に磨いたりしました。見えないところまでやり切るのが私のこだわりだったんです」

その作業を間近で見ていた野間は「かなりのプレッシャーもあったはず」と労をねぎらいます。現在、富士事業所でメンテナンスのための試乗に携わる秋元は、「本当に丁寧に再生されたシートなので試乗時に座るのが申し訳なくて。今、差し替えられる試乗用シートをつくってもらっています」と明かしました。
まるで新品のように蘇ったシート(レストア後)
まるで新品のように蘇ったシート(レストア後)

そんな秋元が担当したのは、メッキの補修や樹脂パーツの複製です。「バンパーやフロントグリルのメッキは協力会社に再メッキを依頼しました。くすんでいたフォグランプのレンズは、複製レンズの作成を依頼したところ、たった2個のレンズのために、削り出しではなく型をつくってオリジナルに忠実に複製してくれたんですよ。ゴムパッキンは協力会社でもつくっておらず、ゴム屋さんをネットで検索するところから始めました。原型がわからなかったので、私が寸法を測り3Dデータをつくって制作を依頼し、オリジナルに近い質感や硬度を再現してもらいました。ミカサツーリングは日本の自動車史でも貴重なものだから、と各協力会社が快く対応を引き受けてくれたのがありがたかったです」(秋元)
 
石橋と松本が担当したトランスミッションはバックギアが壊れていました。「バックギアだけが少し欠けてしまっていて、ギアが入らない状態。バックギアだけ少し材質が違ったんです。きれいにヤスリがけをして、さらにギアが入りやすいようにテーパー(先細りした形状)をつけ、摩耗しにくいように表面処理を施して組み込みました。作業時間自体は30分くらいだったと思います」と松本が言うと、すかさず石橋が「通常は30分では無理ですよ。かなりセンスがいる作業です」と補足します。また、オイルシールのような消耗品は今の規格だとミカサに合わないため、合うように調整してもらったそうです。

レストアしたミカサツーリングのお気に入りポイントを聞くと、一同が声をそろえたのがデザインです。「現代の自動車ではまず見ない、全体的に丸みを帯びた美しい曲面で、当時の技術者のこだわりや想いを感じます」と野間が語ると、「できるだけ継ぎ目がないように板金1枚物で叩きだししているのがすごいですよね。全体はもちろん、タイヤやライトの形状、ドアのレバーなどパーツもすべておしゃれです」と石橋。
 
そのデザイン性の高さは、メンバー全員のお気に入りポイント
そのデザイン性の高さは、メンバー全員のお気に入りポイント

「シートの形状や車内の雰囲気も含めて全体のバランスがいいですよね」と荒井も力を込めます。続いて松本が「やっぱりオリジナルパーツが多いことですね」と技術力を挙げると、秋元も「エンジン部分にOKAMURA、メーターにmikasaなどロゴが随所に入っていて、見ると嬉しくなります」と続けました。
 
スピードメーターにあしらわれた「mikasa」のロゴ
スピードメーターにあしらわれた「mikasa」のロゴ

レストア後は達成感に包まれたというメンバー。「試乗したら調子も良かったです。今のパワーステアリング車とはハンドルの感覚が少し違って新鮮でしたね」と野間。

「試乗時は松本が隣に乗っていたのですが、シフトレバーもスムーズにバックギアに入り、気持ちが良かったです。松本がテーパー(先細りした形状)加工をしてギアを入れやすくしてくれたおかげなんですけど、たぶん私と松本しか気づかないポイントです(笑)」と石橋。「ちゃんとバックできたときは安心しました。二度とない貴重なプロジェクトで得るものも多かったので、できることならもっとほかの部品のレストアにも挑戦してみたかったくらいです」と松本も満足そうな表情で話します。

秋元は「入社面接でもミカサをつくりたいと発言したくらいなので、このレストアプロジェクトに携われたことが本当に嬉しいし、オカムラ人生で一番楽しかったですね、まだ8年目ですが(笑)。次はオカムラがつくった戦後初の国産飛行機『N-52』を復元したい!」と笑顔を見せました。
 

ものづくりの技術とチャレンジ精神、ともに引き継いでいく

再び走行するようになったミカサツーリング。「オカムラの従業員でも動くミカサを見たことある人はほぼいなかったでしょう。富士事業所内でメンテナンス走行していると、通りがかった従業員だけでなくお客様も興味津々でご覧になっています。いずれは、もっと社内外の人に知ってほしいですね」と秋元。

「今回レストアに携わったメンバーは、ミカサツーリングに詰まったオカムラの技術やデザインへの妥協しない精神を感じられたはずです。実際、プロジェクトに直接携わらないとわからないこともあると思いますが、一個一個の部品へのこだわりやものづくりへの情熱を感じられる学びの多い自動車です。当時のものづくりの技術とチャレンジングな精神を引き継ぎ、私たちも新しいことに挑戦していきたいと改めて感じました」(野間)

ほかの生産事業所との協業プロジェクトはメンバーにとっても初めてのこと。「普段、仕事内容は違いますし、場所も離れていて接点はなかったのですが、一緒に動くことで視野が広がりました。今は、創立80周年が近い時期ですから、次のレストアは100周年のときぐらいでしょうか(笑)。現在、パワートレーン事業部では、トランスミッションも次世代のEV化を見据え、ハイブリッドクラッチの開発を始めています。次はミカサの自動運転バージョンをつくって、自動車の展示会に出すなんてことができたらいいですね。いろいろな部門や生産事業所のコラボレーションでやってみたいです」と石橋。新しい挑戦への夢や構想は広がります。
 

「ミカサツーリング レストアプロジェクト」ギャラリー②


オカムラDNAタイムライン 取材後記

オカムラの各生産事業所が専門分野の技術や知見を活かして成功させたミカサツーリングのレストア。先人たちの技術力や工夫から今でも学びは多く、創業当初からオカムラが高い技術力を誇っていたことに加えて、デザイン力にも注力してきたのもよくわかります。事業の継続にこそ至らなかったものの、デザインオリエンテッド企業につながる思い切った投資かつ挑戦として、オカムラの歴史の1ページを彩っているミカサ。今回のレストアを通して、社内外の多くの人に感じてほしい当時の技術力やデザイン、革新性は、今もオカムラウェイの根底あるDNAそのもの。こうしたDNAは、「人が活きる」社会の実現を目指す、現在のオカムラにも継承されています。(編集部)

※本記事で紹介したミカサツーリングは、一般公開しておりません。

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