オカムラDNAタイムライン Vol.8
新たな経営理念「オカムラウェイ」の根底にあるのは、「創業の精神」「社是」「モットー」です。これらは「オカムラDNA」として、いまも私たちに受け継がれています。本企画では、さまざまな事業領域に広がるオカムラのタイムラインから、そんな「DNA」を感じられるストーリーを探ります。それは過去だけではありません。現在はもちろん、未来も視野に。今回取り上げるのは、オカムラが1958年に製造した自社製トルクコンバータ(流体変速機)を使用したオートマチック車「ミカサツーリング」のレストア(修復)プロジェクトです。2022年10月、富士事業所(静岡県御殿場市)に保存されていたミカサツーリングを蘇らせるためにプロジェクトがスタート。8か月後の2023年6月には再び走る姿を見せるに至りました。レストアに携わったメンバーとプロジェクトを振り返りながら、今に引き継がれているオカムラのものづくりのDNAを探ります。
オカムラの革新的な“ものづくり精神”の原点「ミカサ」
オフィス家具メーカーのイメージが強いオカムラが自動車をつくっていた、と聞くと意外に思う人も多いかもしれません。しかしオカムラの創業者である吉原謙二郎は日本飛行機株式会社出身の技術者で、創業当初のオカムラには優秀な航空技術者がそろっていました。「動くものをつくりたい」という想いは、いわばオカムラの原点です。彼らの関心はスクーターへ注がれ、それがトルクコンバータの開発につながりました。かたわらでは飛行機の開発にも成功しています。
そして1957年には、自社製トルクコンバータを使用した国内初のオートマチック車「ミカサ」をデビューさせ、翌1958年にはスポーツモデルの「ミカサツーリング」も発表します。しかし採算をとるのが難しいという経営判断から、ミカサを3年間で約500台世に送り出した後、自動車事業から撤退。その後、人が集まる場所で使うものをつくろうという新たな方針のもと、オフィス家具中心の生産へと舵を切りました。
関連リンク:ミカサヒストリー
「再び走る姿を!」 熱い想いからプロジェクトはスタート
オカムラが所有する1台のミカサツーリングは、長らく「オカムラいすの博物館」で展示されていましたが、一時閉館にあたり富士事業所へ移されました。実車を間近で見ると、デザインの美しさやつくりの精巧さは60年以上前の自動車とは思えないほど。「もう一度、ミカサツーリングが走る姿を見たい」という当時の富士事業所長の想いから、2022年秋にレストアプロジェクトが発足。ミカサを走らせたいという想いと技術、両方を備えたメンバーが集まりました。
レストアを終えたミカサツーリングは、現在富士事業所に保管されており、月に1回試乗して、状態をチェックしています。「触媒※がついていないので排気ガスがひどく、建物内ではエンジンをかけられません。3~4人で押して出して、敷地内を5周くらい走ります。合わせてバッテリーやオイル確認、シートに保湿クリームを塗るメンテナンスなどもしています」と話す秋元。なんだかその手間すら愛おしそうです。
※:エンジンから出る排気ガスの不純物を除去・浄化処理する排気システムを担う
妥協のない当時のものづくり精神に驚き!
レストアに必要な高い技術を持ち、ミカサをまた走らせたいと想いもあるメンバーが集まってスタートした今回のレストアプロジェクト。しかし、いざ始めてみると一筋縄ではいきませんでした。まず、図面や資料がほとんど残っていなかったのです。当時の技術者のこだわりが随所に詰まったミカサ。今回レストアした「ミカサツーリング」の当時の価格は、同等クラスの約2倍でした。秋元は「挑戦心がすごいですよね」と目を輝かせます。
「今回のレストアの基本方針は、可能な限りオリジナルのデザインと仕様に忠実に再生することでした。どうしても取り替えなければならないパーツがあれば、関係者に確認しながら進めました。失敗したら代替品はないので、オリジナルをいかに残すかに細心の注意を払いました」(野間)
たとえばシートはビニール素材なので、シワやヨレは温めて直します。ただ、熱を加えすぎて焦がしたり、変形させたりしては元に戻せません。「一つの判断ミスが取り返しのつかないことになるので、慎重かつ丁寧に作業を進めました」と荒井は当時を振り返ります。
トランスミッションのレストアも同様です。「削りすぎたら戻せない。一発勝負なので、かなりの集中力が必要でした」と松本。石橋も「部品はもう世の中に1個しかないから、松本が作業した部品を外注業者に出すときも、万が一紛失などがあるといけないのでかなり目立つように梱包するなど気を使いました」と当時の苦労を述べました。
「ミカサツーリング レストアプロジェクト」ギャラリー①
各事業所の高い技術が結集して成功したレストア
最初と最後は顔合わせもして、協働プロジェクトとして進行したレストア。実際の作業は各事業所で行われましたが、完成したミカサツーリングはまさに各部の技術が結集したものです。それぞれの担当箇所の修復の苦労について改めて振り返ってもらいました。その作業を間近で見ていた野間は「かなりのプレッシャーもあったはず」と労をねぎらいます。現在、富士事業所でメンテナンスのための試乗に携わる秋元は、「本当に丁寧に再生されたシートなので試乗時に座るのが申し訳なくて。今、差し替えられる試乗用シートをつくってもらっています」と明かしました。
そんな秋元が担当したのは、メッキの補修や樹脂パーツの複製です。「バンパーやフロントグリルのメッキは協力会社に再メッキを依頼しました。くすんでいたフォグランプのレンズは、複製レンズの作成を依頼したところ、たった2個のレンズのために、削り出しではなく型をつくってオリジナルに忠実に複製してくれたんですよ。ゴムパッキンは協力会社でもつくっておらず、ゴム屋さんをネットで検索するところから始めました。原型がわからなかったので、私が寸法を測り3Dデータをつくって制作を依頼し、オリジナルに近い質感や硬度を再現してもらいました。ミカサツーリングは日本の自動車史でも貴重なものだから、と各協力会社が快く対応を引き受けてくれたのがありがたかったです」(秋元)
石橋と松本が担当したトランスミッションはバックギアが壊れていました。「バックギアだけが少し欠けてしまっていて、ギアが入らない状態。バックギアだけ少し材質が違ったんです。きれいにヤスリがけをして、さらにギアが入りやすいようにテーパー(先細りした形状)をつけ、摩耗しにくいように表面処理を施して組み込みました。作業時間自体は30分くらいだったと思います」と松本が言うと、すかさず石橋が「通常は30分では無理ですよ。かなりセンスがいる作業です」と補足します。また、オイルシールのような消耗品は今の規格だとミカサに合わないため、合うように調整してもらったそうです。
レストアしたミカサツーリングのお気に入りポイントを聞くと、一同が声をそろえたのがデザインです。「現代の自動車ではまず見ない、全体的に丸みを帯びた美しい曲面で、当時の技術者のこだわりや想いを感じます」と野間が語ると、「できるだけ継ぎ目がないように板金1枚物で叩きだししているのがすごいですよね。全体はもちろん、タイヤやライトの形状、ドアのレバーなどパーツもすべておしゃれです」と石橋。
「シートの形状や車内の雰囲気も含めて全体のバランスがいいですよね」と荒井も力を込めます。続いて松本が「やっぱりオリジナルパーツが多いことですね」と技術力を挙げると、秋元も「エンジン部分にOKAMURA、メーターにmikasaなどロゴが随所に入っていて、見ると嬉しくなります」と続けました。
レストア後は達成感に包まれたというメンバー。「試乗したら調子も良かったです。今のパワーステアリング車とはハンドルの感覚が少し違って新鮮でしたね」と野間。
「試乗時は松本が隣に乗っていたのですが、シフトレバーもスムーズにバックギアに入り、気持ちが良かったです。松本がテーパー(先細りした形状)加工をしてギアを入れやすくしてくれたおかげなんですけど、たぶん私と松本しか気づかないポイントです(笑)」と石橋。「ちゃんとバックできたときは安心しました。二度とない貴重なプロジェクトで得るものも多かったので、できることならもっとほかの部品のレストアにも挑戦してみたかったくらいです」と松本も満足そうな表情で話します。
秋元は「入社面接でもミカサをつくりたいと発言したくらいなので、このレストアプロジェクトに携われたことが本当に嬉しいし、オカムラ人生で一番楽しかったですね、まだ8年目ですが(笑)。次はオカムラがつくった戦後初の国産飛行機『N-52』を復元したい!」と笑顔を見せました。
ものづくりの技術とチャレンジ精神、ともに引き継いでいく
再び走行するようになったミカサツーリング。「オカムラの従業員でも動くミカサを見たことある人はほぼいなかったでしょう。富士事業所内でメンテナンス走行していると、通りがかった従業員だけでなくお客様も興味津々でご覧になっています。いずれは、もっと社内外の人に知ってほしいですね」と秋元。「今回レストアに携わったメンバーは、ミカサツーリングに詰まったオカムラの技術やデザインへの妥協しない精神を感じられたはずです。実際、プロジェクトに直接携わらないとわからないこともあると思いますが、一個一個の部品へのこだわりやものづくりへの情熱を感じられる学びの多い自動車です。当時のものづくりの技術とチャレンジングな精神を引き継ぎ、私たちも新しいことに挑戦していきたいと改めて感じました」(野間)
ほかの生産事業所との協業プロジェクトはメンバーにとっても初めてのこと。「普段、仕事内容は違いますし、場所も離れていて接点はなかったのですが、一緒に動くことで視野が広がりました。今は、創立80周年が近い時期ですから、次のレストアは100周年のときぐらいでしょうか(笑)。現在、パワートレーン事業部では、トランスミッションも次世代のEV化を見据え、ハイブリッドクラッチの開発を始めています。次はミカサの自動運転バージョンをつくって、自動車の展示会に出すなんてことができたらいいですね。いろいろな部門や生産事業所のコラボレーションでやってみたいです」と石橋。新しい挑戦への夢や構想は広がります。
「ミカサツーリング レストアプロジェクト」ギャラリー②
オカムラDNAタイムライン 取材後記
オカムラの各生産事業所が専門分野の技術や知見を活かして成功させたミカサツーリングのレストア。先人たちの技術力や工夫から今でも学びは多く、創業当初からオカムラが高い技術力を誇っていたことに加えて、デザイン力にも注力してきたのもよくわかります。事業の継続にこそ至らなかったものの、デザインオリエンテッド企業につながる思い切った投資かつ挑戦として、オカムラの歴史の1ページを彩っているミカサ。今回のレストアを通して、社内外の多くの人に感じてほしい当時の技術力やデザイン、革新性は、今もオカムラウェイの根底あるDNAそのもの。こうしたDNAは、「人が活きる」社会の実現を目指す、現在のオカムラにも継承されています。(編集部)※本記事で紹介したミカサツーリングは、一般公開しておりません。