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太平の世を実現した徳川家康江戸幕府が260年続いた理由

2023.01.10
オカムラグループには、一人ひとりが、日々の行動の拠りどころとするための「私たちの基本姿勢 -SMILE-」という5つのアプローチがあります。

編集部では、この「SMILE」について、「もしかしたら、時代を超えて、さまざまな仕事やはたらき方にも通じるのではないか?」という仮説を立てました。そこでスタートしたのが、本連載「SMILE」歴史探偵団です。誰もが知っている、歴史上の人物とそのエピソードに着目して、「SMILE」の観点で分析。その人物の成功の秘訣がどこにあるのか、独自に考察します。
 

今回のテーマは、江戸幕府の創立者・徳川家康。織田信長、豊臣秀吉とともに戦国三英傑に数えられる人物ですが、さまざまなエピソードから「狸オヤジ」「吝嗇家」といった印象を持つ人も…… そんな家康ですが、2023年の大河ドラマ『どうする家康』では、ピンチと計算違いに振り回される、人間味あふれるキャラクターとして描かれるようです。今回、編集部が着目したのは、「家康が260年も続く江戸幕府の礎をいかに築いていったのか」という点です。その仕事ぶりを「SMILE」で分析していきます!
 

徳川家康の仕事ぶりを「SMILE」で分析!

まずは、「私たちの基本姿勢 -SMILE-」を紹介します。Shine、More、Imagine、Link、Expertという5つのアプローチは、私たちオカムラにかかわる、すべての人の笑顔のために、オカムラグループの従業員一人ひとりが日々の行動の拠りどころとしています。
 
編集部による「SMILE」分析結果から、徳川家康は特に「More」「Link」に優れていることがわかりました。
Shine4幼少期に今川家の人質に。「機を見る力」が身についた
More5インフラ整備など、江戸の「都市開発」を推し進めた
Imagine3元敵方の大名も重宝するが、領地は多く与えない
Link5家臣たちの意見によく耳を傾けていた
Expert約260年続く、安定した社会システムを設計


徳川家康の成し遂げた仕事の中で注目すべきは、湿地と原野が広がっていた江戸を大都市へと発展させ、およそ260年も続く江戸幕府の社会システムを作り上げたこと。そして、それだけ大きな仕事を手掛けながらも、家臣たちの意見にきちんと耳を傾けるバランス感覚を持っていたこと。

実は家康は「仕事が活きる」「チームが活きる」タイプの、“今どきのマネジャー”的な資質を持った人物だったのではないかと推測できます。
 

太平の世を設計した天下人の哲学とは?

1467年から1615年までのおよそ140年間、日本中の武将たちが天下を目指してしのぎを削る、戦乱の世が続いていました。そんな中、織田信長があともう一歩のところまで推し進めた「天下統一」を豊臣秀吉が実現し、それを盤石なものにしたのが徳川家康です。

1542年 三河で岡崎城主・松平広忠の息子として生まれる
1549年 駿府の今川家の人質となる
1561年 今川義元の討ち死にをきっかけに織田信長と同盟を結ぶ
1584年 小牧・長久手の戦いを経て、豊臣秀吉と講和する
1590年 秀吉から関八州を与えられ、江戸に入る
1600年 関ヶ原の戦いで西軍に勝利する
1603年 江戸幕府を開く
1615年 武家諸法度や公家諸法度などを制定する
1616年 駿府城で病死

織田や今川、武田などの有力な大名家に囲まれた三河国に生まれ、幼少期には織田家や今川家の人質にされるなど、複雑な環境で育った家康。戦乱の世を生き抜くために、機を見る力や忍耐力、人間関係の機微に慎重な性質を身につけていきます。

そして、家康は武将として着実に名を上げていき、ついに関東250万石という広大な領地を与えられることに。そこからの仕事ぶりは見事なもので、荒野も同様だった江戸を開発し、幕府を開いてからは、法令による大名や朝廷・公家の統制を進めました。家康はどのような哲学を持って太平の世を設計していったのか、「仕事が活きる」More「チームが活きる」Linkの観点から解説します。
 

More: 寂れた寒村だった江戸を世界有数の大都市に

当時、水道が整備されている都市は世界的にも珍しかったという
当時、水道が整備されている都市は世界的にも珍しかったという

もともと家康は三河国を中心に、現在の東海地方を領地として治めていました。しかし、家康の持つ勢力を警戒した豊臣秀吉によって、関八州※1へと転封されてしまいます。関東250万石という広大な領地を与えられたものの、当時の江戸は湿地帯が広がる寂れた寒村。江戸城も非常にみすぼらしい小城でした。

しかも、丘と谷と小川が連なるデコボコとした地形に、現在の銀座〜日比谷のあたりまで入り込んだ海岸線、海水混じりでしょっぱい地下水、大洪水の危険性をはらむ利根川……と、人が暮らすのにまったく向かない、問題だらけの土地だったのです。そんな江戸を“新天地”と捉えた家康は、ときには自ら細かい指示を出しながら、優秀な技術官僚らとともに都市開発プロジェクトを推進していきます。

※1:現在の首都圏と北関東を含む関東8ヶ国の総称

 


「SMILE」ポイント① More

水道の整備、土地の平坦化、利根川の東遷など、家康が始動させた“江戸の都市開発計画”は50〜100年単位の非常に大掛かりなものでした。この一大プロジェクトの完遂を、家康が生きて見届けることは叶いませんでしたが、18世紀以降、江戸は世界有数の大都市へと発展。この仕事ぶりから、家康は「仕事が活きる」Moreの資質に優れていたことがわかります。



家康が最大の目標として掲げていたのが「平穏」と「安寧」。太平の世が長く続くような社会システムを思い描いていました。中でも注目すべきが、禁中並公家諸法度と武家諸法度。公家専用の法律を作ることで朝廷に対する幕府の影響力を強めたり、様々な禁止事項で大名家の勢力を削いだりすることで、徳川政権の安定と維持を目指したのです。実際に、江戸幕府は260年以上存続し、その間、家康の意向を受けて子・秀忠が発布した法令の多くがそのまま運用されていたといいます。
 

「SMILE」ポイント② Expert

140年以上続いた戦乱の世を終わらせ、平和で安定した社会システムを設計した家康。「最良を追求し続けることで、社会が活きる」Expertの資質も、相当に高かったと推測できます。しかしながら、他勢力の権力や武力を削ぐ手腕があまりにも巧みだったため、後の世に「狸オヤジ」「ずる賢い」といったイメージが残ってしまいました。

Link:家臣の意見に耳を傾ける“チーム志向”の大名だった!?

武田軍が敗れた後、生き残った武田の侍たちを多数受け入れたことも
武田軍が敗れた後、生き残った武田の侍たちを多数受け入れたことも

織田信長や豊臣秀吉をはじめとした当時の武将とは違い、家康は家臣の意見にもよく耳を傾ける人物だったといいます。また、元敵方の家臣や一度家康を裏切った家臣でも、能力があれば重用したというエピソードも残っていることから、チーム志向かつ能力主義な人物像が浮かび上がってきます。もしかしたら、家康は現代的なマネジメント能力の持ち主だったのかもしれません。
 

「SMILE」ポイント③ Link

質素倹約を良しとする“三河武士”の性質を強く持っており、それを自覚していた家康。派手好きな信長を接待するときには、信長の好みを知り尽くした秘書・長谷川秀一を“ディレクター”として招くなど、適材適所を心得ていたよう。己と反対の性質・志向を持つ人物も正しく評価していたことがわかる、このエピソードから「多様性を愛し、協力することでチームが活きる​」Linkの資質が伺えます。


好悪の感情に振り回されず、能力で人を判断する家康の性質は、広く優秀な家臣を集めるのに役立ちました。また、集まった家臣たちも、必要以上に主の機嫌を伺わなくていいため、いかんなくその能力を発揮することができたことでしょう。江戸幕府が長く続いた要因として、創立時に優秀な家臣が揃っていたことや、家康が彼らの意見を聞きながら社会システムを設計していったことが考えられそうです。
 

「SMILE」ポイント④ Imagine

井伊直政や本多正信のように、“中途採用組”や“裏切り者”でありながら徳川家で重用された人物は少なくありません。しかし、家康の慎重なところは、彼らに地位は与えても、領地(武力)を多く与えなかったこと。重要なポジションを与えてプライドを満足させる一方で、裏切りへのリスクヘッジを行っていたのです。せっかくの優れた想像力を、相手の力を削ぐために使っていた家康は、「相手が活きる」Imagineの資質が低かったのかもしれません。

まとめ

日本最長の武家政権の創立に世界有数の巨大都市の建設と、前代未聞の大仕事を成し遂げた徳川家康。江戸の都市開発推進には「果敢に挑戦することで、仕事が活きる」Moreの資質が、そして、江戸幕府という巨大組織の運営には「多様性を愛し、協力することでチームが活きる」Linkの資質が生かされていたのではないでしょうか。そして、これらの性質を形成したのが、「学び・感性を磨くことで、自分が活きる」Shineの資質だったと、編集部は推測します。幼少期に今川家の人質とされて以来、家康は忍耐力や機を見る力、人間関係への観察眼を磨き続けていたのではないかと考えられるからです。地道な学びや努力を継続し、チーム志向で仕事に挑戦する家康の姿から、現代の我々も学べることが多いはずです。
 


撮影・田村邦男
撮影・田村邦男
監修:小和田哲男
歴史学者。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。静岡大学名誉教授。専門分野は日本中世史、戦国時代史。著書に『日本の歴史がわかる本』(三笠書房)、『織田家の人びと』(河出書房新社)、『歴史に学ぶ~乱世の守りと攻め~』(集英社)など。
・参考文献
『家康の経営戦略 国づくりも天下泰平もカネ次第』(著・大村大次郎/秀和システム)
『家康の江戸プロジェクト』(著・門井慶喜/祥伝社)
『覇王の家』(著・司馬遼太郎/新潮社)
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