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釜石ワーケーションを体験した今伝えたい “働くってこと” #02

2022.06.14
「人が活きる社会の実現」を目指す、株式会社オカムラ。ここでいう「人」は、世間一般の人々、顧客、そしてオカムラで働く私たち自身も含みます。このシリーズでは、「人が活きる」組織となっていくための、オカムラの進化や変革にスポットをあてて紹介します。

岩手県釜石市に、釜石市、株式会社かまいしDMC、日鉄興和不動産株式会社、オカムラにより2021年10月開業したワーケーション施設「Nemaru Port(ねまるポート)」。釜石には生産拠点・エヌエスオカムラがあり、オカムラと長年縁の深い場所です。オカムラは施設デザインと家具納入を担当、今後はワーケーションの知見提供や有効性実証などを展開予定です。その第一歩としてワーケーションのトライアルが実施されました。参加したメンバーによる渾身のレポート、初回に続く第2回です!
事業戦略部 企画開発グループ 岸 杏奈(2015年入社)
事業戦略部 企画開発グループ 岸 杏奈(2015年入社)
こんにちは!オカムラ オフィス環境事業本部 事業戦略部の岸 杏奈です。オフィス市場における販売促進やウェブプロモーション業務を担当しています。
釜石ワーケーション体験レポート、第2回目をお届けします!

2日目 NSOでの研修・震災の記憶研修

2日目も朝は「Nemaru Port」からスタートです。今日はプログラムがもりだくさんなので、個人ワークは朝の1時間で集中して一気に片づけます!昨日はあいにくのお天気で使えませんでしたが、今日は天気が良いので外のテラス席を使ってみます。少し寒いですが、おかげで頭がしゃきっとして目が覚めます。施設はクラウドソリューションサービス「Work x D」で管理されているのでアプリを使ってラクラク施開錠できます。設定しだいで開錠権の委譲もできるので、わざわざ鍵の受け渡しをする必要もありません。

個人ワークも終了し、いよいよ今日のプログラムがスタート。まずはエヌエスオカムラへ向かいます。
 

エヌエスオカムラ 再建の歩み

1991年に日本製鉄株式会社と株式会社関西オカムラの共同出資により設立された株式会社エヌエスオカムラ(以下NSO)は、国内事業所の中でも遠方にあるので、オカムラ従業員もなかなか訪れる機会が少ない事業所の一つです。おもに中軽量ラックやデスク部材を生産していますが、2019年に開催されたラグビーワールドカップで会場の一つとなった「釜石鵜住居復興スタジアム」のスタジアムベンチも、現地の木材とスチール脚を用いてエヌエスオカムラで生産されたものです。
 

設立以来この釜石で事業を行っていますが、東日本大震災の大津波で以前の建物は一階部分がほぼ全壊し、1年後に日本製鉄の倉庫だった建物を借りて再建しました。会議室には当時の被害記録や再建への歩みが分かる写真がたくさん飾られています。

実際に震災を体験した製造部長から、当時の写真とともに震災後のNSOの歩みを聞きました。

 


震災後なんとか工場の再建ができた理由の一つは、生産現場の財産ともいえる金型の多くが流されずに残っていたからです。半年ほどかけて瓦礫の中から金型を搬出し、さらに時間と費用をかけ錆を取りました。それでも長年少しずつ微調整を重ねていた部分はすべてリセットされ、震災前の経験値は瓦礫とともに流されてしまいました。

従業員は全員無事だったものの、すぐにNSOでの雇用を復活させることはできず、つくばや追浜、富士などのオカムラの各事業所へ出向してもらいました。新しい職場になじめない人や、「もう海を見たくない」とそのまま出向先に残る人もいて、当時の従業員たちは複雑な想いをかかえていた人も多かったのではないでしょうか。そんな従業員の想いを背負いながら、2012年5月22日(東京スカイツリー開業と同じ日でした)、NSOは操業再開を果たすことができました。
 

省エネ活動への取り組み

NSOのもう一つ特徴的な取り組みは、CO2排出量削減のための省エネ活動です。ちょうど訪問の数日前に岩手県からCO2排出量削減の取り組みに対する表彰を受けたとのことで、賞状を見せていただきました。NSOでは改善努力により年間CO2排出量を約334トン削減に成功。光熱費約50,000千円もの削減を実現しています。実はこの省エネへの取り組みも被災経験と深いつながりがありました
 


震災が訪れたタイミングは、ちょうど旧社屋債務にめどが立った時点でした。なんとか再建は果たしたものの、設備新設などで再び多額の債務を負ってのスタートでした。再建直後は従業員の入れ替わりもあり、すぐに順調な成果が出せる状況ではありませんでした。そこで、生産にかかるコストを少しでも削減しようと着目したのが、塗装ライン工程です。

当時の塗装工程は、前処理工程、水切り乾燥工程、焼き付け乾燥工程と加熱を繰り返す必要があったため、工場内熱エネルギーのほとんどを塗装ラインで使用していました。NSOでは塗装ラインの改良を重ね、エネルギー消費だけでなく、材料費や産業廃棄物の削減も実現。この改革により「平成28年度 省エネ大賞」の省エネ事例部門 経済産業大臣賞を、環境省による「循環型社会形成推進功労者等環境大臣表彰」において平成28年度の環境大臣賞を受賞しています。現在、地球環境保全に注目が集まり、各方面でCO2排出量の削減に取り組んでいますが、NSOがここまで早く省エネ活動に力を入れていた背景には、震災後、なんとか工場を軌道に乗せようとしたNSOメンバーの物語があったのです。
 

移動 釜石から鵜住居へ

NSO訪問後、午後は鵜住居へ移動して かまいしDMCさんの研修プログラムを受けに行きました。
 
三陸鉄道リアス線
三陸鉄道リアス線

全国の鉄分多めの皆さま、お待たせしました!鵜住居への移動はまたも趣のあるローカル線、三陸鉄道リアス線です!

しばし、エモい写真たちをお楽しみください(笑)。

鵜住居に到着

釜石からは2駅で鵜住居へ到着します。こちらは2019年開催されたラグビーワールドカップで会場となった「釜石鵜住居復興スタジアム」がある場所です。納入されたスタジアムベンチは、現地の木材とスチール脚を用いてNSOで生産されたものです。駅の待合室にはスタジアムと同じスタジアムベンチがありました! なんだか嬉しいですね。
 

震災の記憶研修~自律型人材の育成~

鵜住居地区は街の主要部分ほとんどが水没してしまった、津波被害の大きな地区です。しかし、沿岸部近くにあった釜石東中学校の生徒たちは、震災発生後ただちに高台へ避難し、隣接する小学校の生徒も誘導して自発的に行動した結果、市内の小中学生の99.8%が生還しました。この出来事は「釜石の奇跡」と呼ばれています。

一方で「釜石の悲劇」と呼ばれる悲しい出来事もありました。鵜住居地区防災センターは指定避難場所ではなかったものの、当時防災訓練が行われていたことや、その名称によるイメージから、地域住人200人余りが避難し、そのうち160人余りが津波で命を落としました。

かまいしDMCでは、この二つの出来事を単なる“美談”や“悲劇”で終わらせないためにも、研修という形で「釜石での出来事」を伝承しています。


当時の状況を理解したうえで「自分が小中学校の職員だったら、生徒たちにどのような指示をだすか」をグループで考えた後、釜石東中学校の生徒たちがどの経路で、どこまで避難したかを、実際に歩いて見学します。

案内人は当時実際に釜石東中学校の生徒だった、かまいしDMCの川崎さん。川崎さんの当時の記憶と解説により、実際に歩いたこの道が、生まれ育った町が波にのまれていくシーンを想像すると、言葉が見つからず、ただひたすらに歩くことしかできませんでした。

見学ルートの周辺は、綺麗で見た目の揃った新しい家々が並んでいます。それが意味することを考えると、余計に心に響くものがありました。
 鵜住居駅のすぐ近くには「釜石祈りのパーク」という広場があります。この場所がまさに、鵜住居地区防災センターがあった場所です。

すり鉢状に成形した丘の中央に東日本大震災犠牲者の慰霊碑が、そして丘の頂上に東日本大震災津波高が記録された碑があります。

芳名板がところどころ抜けているのは、まだご遺族の意向が確認できていない方々です。東日本大震災は決して過去の出来事ではない。そんなことを、身をもって実感しました。
 


その後あらためて「釜石の奇跡」と呼ばれる出来事は、奇跡なんかではなく、日頃の防災教育の賜物であったことを学びました。そしてその過程は、組織における自律的な人材教育に通じます。私たち一人ひとりも、自らの状況をあらためて棚卸しして、明日からの行動指針を“自分ごと化”することで研修プログラムは終了しました。
 

震災の記憶研修~自律型人材の育成~
震災の記憶研修~自律型人材の育成~


2日目はNSOの経験と、鵜住居地区での経験がひとつなぎにつながる、非常に立体感のある研修プログラムとなりました。

心から、生きているうちにこの場を訪れることができてよかった。すべてを理解することなんて到底できないけれど、それでも、この経験をしているかどうかは、人生を左右する大きな出来事だと思いました。

レポート第2弾はここまで。次回は最終回です。
 


2021年12月ワーケーション参加

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